さよならニコちゃん。りりの命日に…


先日、
2016年5月21日 12時頃

昨年暮れからの闘病生活の末、
ニコちゃんがお月様に帰りました。

9歳と2ヶ月


そして、この日は奇しくも昨年お月様に帰った
りりの命日で1周忌法要の日でした。




りりが旅立って1年。
いろいろ書きたいことはたくさんあったのですが、
気付けば1年経っていました。


1年前、ニコちゃんは、りりがいなくなってから
一気に元気がなくなりました。
幸い食欲はあったものの、しょんぼりした様子で
ケージから出てこずに10日ぐらい引きこもり生活をしていました。

うちに来た時から約8年ずっと隣にいたりりがいなくなったので、
当然のことかもしれません。

その時は私もしばらく暗くなっていたのですが、
見ていて気の毒になるぐらいニコちゃんが沈んでたので
ニコちゃんの前でだけはあえて明るくふるまっていました。


日にちが経ち、徐々にりりのいない日常に慣れてきて
ニコちゃんもサークルに出て遊ぶようになったものの
8歳過ぎてもずっと若々しかったニコちゃんは
急に歳を取った感じになりました。



うちには今2013年10月にお迎えしたネザーの男の子・ルカ(2歳半)と
昨年9月にお迎えしたホーランドロップの女の子・サラ(10ヵ月)がいて、
ニコちゃんを含め、3ウサになっていました。
(なので、りりルカとは1年7ヵ月同じ部屋にいました。
ルカサラのことはまたあらためて紹介したいと思います。)


新しく女の子が来て、
少しは活力を取り戻してくれるんじゃないかと思ってましたが
ニコちゃんはサラに興味を示しませんでした。
それどころか、まだ赤ちゃんだったサラが追いかけて来ると
逃げてました・・・



しばらくは普通に暮らしていましたが、昨年の暮れ頃から
鼻からイビキのような音がしているのが気になり、
原因不明の鼻炎で通院していましたが、一向に良くならず
今年の2月に入って食べ物が鼻に逆流するという症状が起こりだし
固形物をしょっちゅう鼻に詰まらせるため、
危険な状態に陥ったこともあったので
鼻から抜けやすい食事に切り替えがんばっていました。

できるだけ体に負担のかからない検査の範囲では
心臓や肺、その他の内臓系も異常なく
3月には無麻酔でCT検査ができる病院で
鼻から喉を調べてもらいましたが
結局はっきりしたことはわかりませんでした。
それ以上のことは、麻酔が必要な検査
(→で、何かわかったとしても手術)になるため
この時点でかなり体重が減っていた老齢のニコちゃんには
そのリスクも大きく、体力や体重がある程度回復するまでは
現治療でうまく病気とつきあっていこう…という感じでした。


闘病中や治療の事はまた詳しく書こうと思います。



そんな中、3月19日には
9歳の誕生日を迎えることができました。

一時は9歳になれないかも・・・という時も何度かあったので
心底ホっとしました。
この頃の私は、もういつ何が起きても・・・と覚悟をしていましたが、
りりが越えられなかった9歳の壁を
ニコちゃんには越えさせてあげたかったのです。



4月は割と落ち着いた状態が続いていましたが、
5月に入って、今までかろうじて食べれていた
固形ペレットやペレット牧草にほとんど口をつけなくなり、
GW中点滴に4日通いましたが
呼吸の荒い日が続いていた為
5月8日に酸素ハウスをレンタルし、その中で過ごしていました。

足の筋力も落ちてしまっていて、何とか座れてはいるものの
一度倒れると自分で起き上がれないため
ぬいぐるみのパンダちゃんやポンタが支えになってくれていました。


粉末のペレットで作ったダンゴや
野菜のスムージーが食事の中心になり、
(給水ボトルは2月下旬から口をつけず、
もうただの水は飲まなくなっていました)

免疫力をあげるためのサプリやプロポリスなども取り入れ
少しずつ食べる量も増えていき、容体も悪化することなく安定してきて
一時は1180gまで落ちたこともあった体重が
5月20日は1312gまで戻っていました。
これで徐々に体重が増えていくかも・・・と希望が出てきていました。


しかし、5月20日の午後からまた呼吸が荒くなってきたため、
酸素濃度をあげて一晩。
21日の明け方には薬も普通においしそうに飲み、
午前中スムージーやペレットダンゴは少しずつしか食べませんでしたが
(この頃には食事の時間は1〜2時間おきに
数回に分けるちょこちょこ食いが常になっていた)

呼吸も落ち着いていたので安心していました。





5月21日
りりの1周忌で、この日はお寺で11時から1周忌法要でした。


ハウスの中でパンダちゃんによりかかっていたニコちゃんに
「今日はりりおねえちゃんの1周忌だから、行ってくるからね」
と声をかけ、10時半頃家を出て、
りりのお葬式でもお世話になったお寺に向かいました。


(※これは5月9日に撮ったものです)

1周忌法要が終わり、帰宅したのが12時頃でした。


「ただいま〜」とウサたちに声をかけ、
持ち出していたりりの位牌をウサ仏壇に戻し
ニコちゃんの酸素ハウスを覗くと、
ニコちゃんがパンダちゃんにもたれ倒れていて動いていない!?
いつもの呼吸をする時の背中から脇腹にかけての動きがないのです。

慌ててニコちゃんの体を起こした時、体は温かく、
一瞬ピクっとした呼吸をする時の動きが手に伝わりました。
パパに「ニコちゃんが動いてない!」と大声で呼び、
ニコちゃん!ニコちゃん!と声をかけました。
そして、パパがティッシュをニコちゃんの鼻に当て拭こうとした時
プシュっといったそうです。

本当に呼吸止まってるの??

掛かりつけ以外で近くに何度か点滴をしていただいた病院が
車で10分ほどの場所にあり
そこの院長先生に電話をして現状を伝えました。
体が動いていないけど、呼吸をしていないかどうかが判断がつかない。
どうすればいいのか・・・と。
この時の私はかなり動揺していました。

細く切ったティッシュを鼻の穴に持っていき、
それが動くかどうかでわかりますよと教えていただきました。
電話で先生と話している横で、パパはわからないながらも
心臓をマッサージしてくれてましたが
ティッシュは動かず、
もうニコちゃんに反応は見られませんでした。

自分では(亡くなってるか)判断できないので、
先生に確認をお願いします・・とすぐに病院に連れて行くことにしました。


車の中でキャリーに入ったニコちゃんに
声をかけて体を撫でていましたが、
家の中では確信が持てなかった私でも
その時にはもうはっきりわかっていました。

病院に着くと看護師さんがすぐに診察室に招き入れてくれました。
ニコちゃんに聴診器を当てた院長先生から
「呼吸止まっていますね」という言葉を聞いて
ようやく、そうか・・・と受け入れられました。
体は温かく、ほんとにまだ亡くなったばかりの感じだと言われました。



だけど、今までも覚悟はしていたものの
今日だけは、、、
まさかりりの命日とニコちゃんの命日が
一緒になるなんてことはないだろうと思っていました。


ニコちゃんが介護生活に入って以降、やむを得ない場合を除き、
なるべく私とパパ二人で家を空けないようにしていました。
寝る時も、ウサたちのいるリビングで様子を見ながら…といった日々で
りりの時に最後見送ってあげれなかったということもあり、
ニコちゃんが息を引き取るときは
ずっと見守っていてあげようと思ってたのです。

なので、慌ただしいお別れになってしまったのが残念ですが、
ニコちゃんが選んだ旅立ち方だったのかな…と思いました。

両目ともに閉じていて、いつも呼吸が荒い時には口が開くのですが
口も閉じていたので、苦しまずに本当に眠るように亡くなったようでした。
(院長先生もそんなような感じのことをおっしゃって下さいました。)

もしあの時出掛けていなくて家にいたとしても、
その瞬間気付くことができたかわかりません。
りりの1周忌から帰ってきたあのタイミングだったから気づけたのかも?
と思います。
そして、あの家での一瞬の反応が
ニコちゃんの私たちに向けた最後の挨拶だったのかもしれません。





りりと同じ日を命日に選んだニコちゃん・・・

りりがいた頃はいつもりりの動向を気にしていて
りりのいなくなった頃のニコちゃんのしょんぼり具合を思い出しても
ニコちゃんの想いがとても強かったんだなぁとつくづく感じました。


ニコちゃん、りりに導かれて虹の橋を渡っているかな。


りりの時は、あのタイミングで亡くなることが想像つかず
たくさんの後悔をしばらく引きずっていました。

今は寂しさと悲しさはありますが、
ニコちゃんとの介護生活に悔いはありません。






ニコちゃん、
本当に闘病生活よくがんばったね!えらかったね!
おっとりさんで、誰にでもフレンドリーで癒し系のニコちゃんは
お月様でもみんなと仲良くできるよね。


ニコちゃん、うちの子になってくれて、9年間今まで本当にありがとう!!


ニコちゃんは5月26日に荼毘に付します。
お葬式の日も時間もりりと同じなんですが、
この日はニコちゃんのお迎え記念日でもあります。
偶然とは言え、本当に不思議です。

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